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連載 私のオリンピック・パラリンピックの思い出

額賀澪(作家)

第3回は、2015年のデビュー以来、様々なテーマに新鮮な切り口で挑み、青春小説の旗手として活躍する作家・額賀澪さん。作品に一貫して流れるのは、たとえ失敗し、道が途絶えても、そこを目指していた自分を肯定していられる人生であってほしい、という切望。その気持ちを強く照射した青春スポーツ小説を多く手掛ける額賀さんに、オリンピックにまつわる、あれこれを語っていただいた。

第三回 わからなかったこと、見えなかったものを掴むことのできる、大きなチャンスがやって来る

2021/04/14


「私自身の世界も大きく、豊かになった。書いてよかった作品の代表格です」と語る『競歩王』は、やむなく駅伝から競歩に転向したひとりの選手が挫折から這いあがり、東京オリンピックを目指す物語。取材と執筆、そして観戦をするなかで見えてきた、競技の面白さと選手の思い。その実感を抱きつつ、額賀さんが、東京2020大会で期待していることとは?

もっともっと、たくさんの人と共に応援したくて。オリンピック前年に書きあげた『競歩王』

――世界ランキング上位に多くの日本選手が入り、メダル獲得が期待される競歩ですが、その競技に関心を持たれたきっかけを教えてください。

額賀澪(以下、額賀) もともと駅伝やマラソンが大好きで、ずっと観ていたのですが、ドキュメンタリーなどで、選手たちの練習風景を見ていると、遠くの方で、競歩の練習をしている方たちの姿が視界に入ってくるようになったんです。大学などの陸上部で、駅伝と競歩は同じ長距離部門なので。“よくわからない競技だなぁ”と感じつつ、自分のなかから生じてきたのは、“これは、掘っていくと、温泉が出てくるぞ”という熱い思い。そこから競歩という競技を小説で書くための模索が始まりました。

――『競歩王』執筆前には、2017年ロンドン世界陸上 50km競歩 銅メダリストの小林快選手(新潟アルビレックスRC)に取材なさったそうですね。

額賀 競歩とはどういう競技なのか、実際に実業団で競歩をされている方は、どんな1年を過ごしているのか、オリンピックや国際大会についてのことなど、多くの貴重なお話を伺いました。

――取材をする前とした後で、競歩の印象はどう変わりましたか。

額賀 それまで自分の見ていた競歩が一変しました。小説を書いた後はさらに変わりました。もっともっと面白くなりましたね。競歩には、常にどちらかの足が地面に接していること(注1)、前に繰り出した足が接地の瞬間から地面と垂直になるまで膝を伸ばしていること(注2)という大きなルールが2つあるのですが、それを何となく頭に入れて観ていたのと、選手の皆さんから、“あのルール、実はこういう時に厄介で”とか、20kmと50kmの違いなどを実際にお伺いし、ルールブックに書いてない現場の空気感が自分でもわかるようになると、さらに面白く観られるようになりました。

注1 違反するとロス・オブ・コンタクトという反則になる
注2 違反するとベント・ニーという反則になる

――『競歩王』に登場する競歩選手・八千代と同じ様に、小林快選手は自らの夢である箱根駅伝で走る道を突き進んできたところ、厳しい現実を突き付けられたそうですね。タイムが伸び悩み、大学3年のとき、長距離走から競歩へ転向されたのだとか。

額賀 小林選手だけでなく、長距離を走っていたけれど、何かの折に競歩を始めた方は多いんです。そこには諦め、挫折という経験もある。全国中学校体育大会の陸上種目には競歩がないので、競歩を本格的に始めるとなると高校・大学から、という方が多いです。当然ながら指導できる人も少なく、自分で指導者を探したり、強くなるための環境を求めて他大学の合宿に参加したりと、工夫して練習している方が多いようですね。

――競技の外にも大きな物語があるのですね。

額賀 ひとりひとりの選手がどんな風に競歩を始め、どういう道を辿って、ここまで来たのかということを追いかけるのも面白い。競歩に限らず他のスポーツでもそうですが、選手達が抱えた物語を知ることで、競技がより一層鮮明に見えてくるんです。

――競歩を知らない人たちにも、『競歩王』はその魅力をわかりやすく伝えてくれます。そのなかで、額賀さんが一番伝えたかったことは?

額賀 “学校に遅刻しそうだったから、今日は競歩で来た”なんて具合に、友達との会話の中で競歩が登場することってありませんか? 競歩というスポーツがあって、それが早歩きをするらしいというところまでは、みんな知っているのに、競技自体はよくわからないというのが、競歩の妙なところなんですよね。そんな競歩がどれだけ過酷な競技で、どれだけ面白いか、ということを伝えたかったんです。読んだ人が競歩に興味を持って、オリンピックでレースを観てみようか、大会をライブ配信で観戦してみようか、と思ってもらいたかった。みんなで一緒に、“あのレースの○○選手、凄かったね!”と、わいわい応援できる競技になってほしいと思っています。

――東京オリンピックで注目している競歩選手はいらっしゃいますか。

額賀 たくさんい過ぎて困りますね……。日本代表の座は、男子20km競歩、男子50km競歩、女子20km競歩にそれぞれ3枠ずつあります。続々と代表内定選手が決まっていて、4月12日に開催された日本選手権50km競歩輪島大会では、丸尾知司選手が男子50km競歩のラスト1枠を勝ち取りました。世界陸上ドーハ2019で金メダルを獲得し、すでに代表に内定している鈴木雄介選手と山西利和選手。日本選手権を6連覇し、2大会連続の日本代表に内定した岡田久美子選手。代表内定とならなかった選手の中にも、私が取材させていただいた小林快選手やリオ五輪で日本競歩界に初のメダルをもたらした荒井広宙選手、2018年のアジア競技大会の金メダリストである勝木隼人選手……まだまだ凄い選手がいっぱいいます。正直、日本は有力選手が多すぎて、3枠ではとても足りない。代表内定選手はその中を勝ち上がった精鋭中の精鋭というわけです。オリンピックでどんなレースが展開されるのか、とても楽しみです。

――それだけ日本は競歩が強いのに、それに見合うほどには周知されていないんですね。

額賀 不思議ですよね。日本人って、日本が強いスポーツが好きじゃないですか。おそらくどうやって競技を楽しめばいいかわからないからなのかなと。だからこそ心の片隅には、“この子の良さをわかっているのは私だけ”みたいな気持ちもあるんですけど(笑)、やはりもっともっとメジャーになってほしいですね。

――スポーツを題材にした小説では、今後、どんな競技を書いていきたいですか。

額賀 ライフワークとして考えているのが、世界陸上の種目を小説ですべて制覇すること。数えたら凄い数だったんです。私が80歳まで生きるとしたら、2~3年に1作の割合で書かないと間に合わない(笑)。今一番、書きたいのは、棒高跳ですね。あ、でも、走高跳や走幅跳も書きたいし、ハードルも書きたいし、3000m障害も書きたい。中距離走も投擲種目もいいですね。いつか満を持して十種競技や七種競技も書きたい。書きたい種目がありすぎます。



それでも“奇跡のような瞬間”を待ちわびている

――ここに注目すれば、オリンピックをより深く、面白く観られるという、額賀さんならではの見どころを教えてください。

額賀 2013年9月に東京オリンピックの開催が決まってから、エンブレムの取り下げと再公募、新国立競技場の再コンペ、巨額経費問題、ボランティア問題、マラソン・競歩の開催地変更、コロナ、組織委員会会長である森喜朗氏の女性蔑視発言、開閉会式の演出企画問題……さまざまな問題が噴出して、「もうどうやったってオリンピックを楽しめない」という人も多いでしょうし、それも仕方がないと思います。私自身の中にも、楽しめる自分と楽しめない自分がいます。その上であえて見どころを語るなら、自分の人生だったり将来だったり、家族だったりチームだったり、国だったり民族だったり、大きなものを背負って競技に挑む選手の姿を見られることだと思います。オリンピックに限らず、これまでスポーツを観戦する中で何度も「奇跡のような瞬間」を目撃する機会がありましたけど、本当に凄いパフォーマンスは、一瞬だけ、観ている側を縛りつけるあらゆるわだかまりやしがらみを吹き飛ばすんですよね。

――これまでのオリンピックで、印象に残っている海外の選手は?

額賀 リオオリンピックの時、話題になったのでご存じの方も多いと思うんですけれど、50km競歩の、カナダのエバン・ダンフィー選手。銅メダルを獲った荒井広宙選手と競技中にぶつかり、荒井選手が失格になる、ならない、というひと幕があった時の相手の選手です。荒井選手が失格なら自分が銅メダルだったのに、“ぶつかられたと思っていないし、自分が4位ということは納得している、選手の間では何も問題なかった”と言って、彼のスポーツマンシップがとても印象に残っています。そのダンフィー選手が、昨年、ドーハ世界陸上で銅メダルを獲って、鈴木雄介選手の金メダルと同じくらい嬉しかったですね。



楽しみにできる自分も、できない自分も、オリンピックを隅々まで見つめていたい

――アンソロジー『作家たちのオリンピック』に収録されている短編『オリンピックを知らない僕たちへ』についてお伺いします。冒頭では、東京2020大会に対する問題提起を読者のなかに想起させ、ラストには主人公である若手編集者の言葉どおり、「オリンピックを楽しみにしたいのにできない人のための小説」として、東京2020大会への希望を感じさせる。この短編のなかにも強く流れている、東京オリンピックについて思うポジティブな面、ネガティブな面、そして今、額賀さんが感じていることを教えてください。

額賀 このオリンピックが私達に残すものは、ネガティブな面――私達がこれから徹底的に対峙して、正していかなければならないものばかりだろうと思います。オリンピックという巨大なイベントを通して、社会が抱えた膿がドバドバと出ている。私が『オリンピックを知らない僕たちへ』の中で書いたボランティアの問題もそうですし、その後に発生したマラソン・競歩の開催地変更や、コロナに関連する諸問題もそうです。海外で開催されるオリンピックを楽しんでいるだけでは見えなかったものが、自国で開催されることで見えてくるはずですし、だからこそ、見逃してはいけないのだろうな、と。

――東京2020大会は、創作をする人にとって、大きな糧ともなりますね。

額賀 オリンピックを良いものとしてエネルギーにする人もいれば、負のものとして捉えてエネルギーにする人もいると思います。そこは本当に自由であるし、その両方を創作の力にする人もきっといる。ただ、確かなこととして言えるのは、こうした大きなイベントは、作家にとってチャンスの宝庫だということ。なんらかの折に、このオリンピックのおかげで書ける小説が必ず出てくると思うんです。だからこそ、オリンピックを楽しみにしている私も、楽しみにできない私も、オリンピックを隅々まで見つめていたいと思っています。



取材・文=河村道子/写真=野口彈


額賀澪(ぬかが・みお)

1990年10月16日生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒。2015年に『屋上のウインドノーツ』で松本清張賞を、『ヒトリコ』で小学館文庫小説賞を受賞し、デビュー。その他の著書に『タスキメシ』『さよならクリームソーダ』『拝啓、本が売れません』『風に恋う』『競歩王』『沖晴くんの涙を殺して』『転職の魔王様』などがある。


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発売日:2021年4月14日(水)
定価:1,980円(本体1,800円+税)
判型:A4正寸
ページ数:76P

書籍詳細