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連載 私のオリンピック・パラリンピックの思い出

野地秩嘉(ノンフィクション作家)

今大会の後も残るに違いないレガシーとそれを創るためにもがき続け、奮闘した人々の姿を取り上げた『新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語』(KADOKAWA)が好評発売中。本サイトの連載番外編として、著者・野地秩嘉さんの今大会への思いや新たに取材した内容を全3回に分けてご紹介します。

番外編 新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語(第1回/全3回)

2021/07/28


東京オリンピック大会が始まった。エンブレムのデザイン変更から始まり、組織委員会会長の交代、直前の辞任問題……。大会直前まで組織委員会は右往左往した。どうして、こうした事態になったのか。オリンピック・パラリンピックは誰のためにあるのか? 国民一体で支えるものではなくなったのか?

オリンピック・パラリンピックを評価できるのは子どもたちだ

「東京オリンピックに関心があったのは東京の一部の人だけだ。熱心に応援していたのは子どもたちだけだよ。日本中のほとんどはそれほど関心はなかった。大きな運動会をやっているなといった程度だったな」

 こう言ったのは亀倉雄策。1994年にわたしは彼から直接、聞いた。亀倉は57年前の東京オリンピックで、大会エンブレムを作り、陸上ポスターを制作した男だ。レガシーとなったピクトグラムの発案者でもあり、記録映画『東京オリンピック』のグラフィックを監修、題字も書いている。こんなことも言っていた。

「だいたい、組織委員会の連中なんか話にならんよ。あいつらに芸術が何たるかなんてわかるはずがない。しかも、仕事をすると言ったって最初から会議にはならんのだ。みんな、時間を守らない。半分は遅れてくるし、来ないやつもいた。だから、勝手にやるしかなかった。日本人は時間を守るとか団体行動に向いているというのは大きな嘘だ。あれは東京オリンピックが終わってからのことだ。みんな、それを忘れている」

 ――時間を守らなかったのは腕時計が普及していなかったからですか?――
 そうわたしが聞いたら、「いいや」と首を振った。

「落語の八つぁん、熊さんっているだろう。東京オリンピックの頃の日本人は落語の登場人物とほぼ変わらんよ。時間を守るどころか、仕事しないでぶらぶらしているのが大勢、いたからね」

 開催されてからもまだ今大会に反対する人は多い。しかし、57年前の東京オリンピックも国民全体が関心を持っていたかといえば、そんなことはなかった。一部の人たちだけが支えていたのが事実だ。

 ただ、あの時、子どもだった人たちは熱中した。わたしは東京の小学校1年生。よく覚えている。ジャボチンスキー(重量挙げ)、チャフラフスカ(体操女子)、リスカリ(バレーボールソ連チーム)……。日本人選手でなくとも、活躍した選手の名前を記憶している。同じクラスだったAくんは入場行進に出てくる選手の国名をギリシャから始まって15くらい、すらすらと言うことができた。教室ではオリンピックの話ばかりだった (当時は10月開催)。

 今大会も終わった後、覚えているのは子どもたちだけだと思う。
 大人は「成功だ」「失敗だ」と立場によって主張する。

 だが、大多数の子どもはあの時のわたしやAくんのように、世界がやってきたこと、走ったり、飛んだり、泳いだり、やりや砲丸を投げたりすることに一生懸命になっている人間がいることを知る。

 オリンピック・パラリンピックを評価できるのは子どもたちだ。

スポンサー料は選手への協賛金

 オリンピック・パラリンピックでは、それでも選手と大会を支えている人たちがいる。
 IOCでもなければ組織委員会でもない。特に組織委員会は特定期間だけ集められた人たちだ。オリンピック・パラリンピックが終わればみんな、元の仕事に戻っていく。

 一方、ボランティア、スポンサーは「支えたい」と自分から手を挙げた人たちだ。わたしは招致が決まった瞬間から、彼らが開催のために9年間、苦闘してきたことを見ている。その結果を『新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語』に書いた。
 
 オリンピックの場合、スポンサーは企業や製品の宣伝というよりも、選手と大会を支える寄付という色彩が濃い。
 ワールドカップ、世界陸上、世界水泳といったスポーツイベントの場合、ゼッケンに企業名、企業ロゴを入れることができるし、競技場にフェンス広告や看板を設置することができる。たとえば、世界陸上でマラソン選手が独走したら、テレビで企業名入りのゼッケンが映るからそれだけで宣伝になる。スポンサー料は宣伝費だ。

 ところが、オリンピックではそれはできない。スポンサーは「当社はオリンピックスポンサーです」と言えるだけ。会社や商品を宣伝するにはあらためてメディアに広告を出さなければならない。

 現在、オリンピック・パラリンピックには大逆風が吹いているからスポンサー企業はメディアで宣伝を控えている。スポンサーであることを主張していないわけだ。

それでも支える人たち

 スポンサー料を払い、なおかつ、オリンピック・パラリンピックに協力し、しかも、そのことを大声で言えないのに、満足している人たちがいる。

「わたしはみなさんに感謝しています」
 AOKI創業者、青木擴憲(ひろのり)は直前のインタビューでそう言っていた。
 AOKIはオリンピックスポンサーであり、日本選手団の公式服装を担当している。しかし、コロナ禍で在宅勤務が進み、スーツは売れているわけではない。企業環境がいいとは言えない。

 それでも彼が不満を言わないのは57年前の夢がかなったからだ。57年前の東京大会の時、青木はスーツの行商人だった。仕入れたスーツの代金を払うためには3日間ですべて売らないと首が回らないという綱渡りの生活をしていた。だが、あの時、1枚のチケットをもらった。陸上男子100mの準決勝、決勝のチケットだ。長野県の高校時代、陸上部だった彼は行商を1日だけ休んで、夜汽車で東京に出てきた。

 準決勝。アメリカ人選手、ボブ・ヘイズが旧国立競技場のアンツーカーのコースを世界記録、9.9秒で走り抜けた。スタンドの上から観戦していた青木は興奮して腰を抜かしそうになった。そのまま午後は決勝だった。ヘイズは自分のスパイクを忘れ、他人のスパイクを履いたにもかかわらず1位でゴール。この時は10.0。

 青木はヘイズを見て、ひとつのことを決めた。
「会社を作ろう。大きくしよう。会社が大きくなったらオリンピックのスポンサーになって選手のスーツ、審判のスーツを作ろう」
 夢を見てみようと決め、すぐに国立競技場を出て、長野に戻った。翌日から休みも取らず、ひたすらスーツを売って歩いた……。
「だって、わたしはあの時、世界記録をこの目で見たんですよ」
 AOKIは公式服装を製作する際、全選手の分を採寸した。選手にぴったりした服を作ることも青木の夢だから。

 スポンサーとなって喜んでいるのは青木だけではない。アシックスの会長、尾山基(もとい)はかつての東京大会の時、石川県の中学生だった。バスケット部だったけれど、聖火ランナーの伴奏者に選ばれた。それを忘れていない。同社でオリンピック・パラリンピックのポディウムジャケットを製作した常務の松下直樹はかつての大会時は小学校に上がる前だった。それでもテレビで見た重量挙げに感激して、クレヨンで絵を描いた。松下家の茶の間には彼が画用紙に描いたクレヨン画が長い間、飾られていた。尾山も松下もまた、57年前の東京オリンピックで人生が変わった。だから、今度の大会も全力で支える。

 NECの担当者はオリンピック・パラリンピックのために顔認証の技術を利用する。セコムは警備システムを、トヨタは交通システムを開発した。NTTはセーリング競技とバドミントンのために新しいライブ技術を開発した。いずれも1年や2年の開発期間ではない。AOKIのように57年間、かかったわけではないけれど、いずれも数年以上の期間をかけている。

村長さんの気概

 TOKYOオリンピック・パラリンピックの選手村村長になったのが川淵三郎。かつての東京オリンピックではサッカー日本代表として出場。優勝候補だったアルゼンチン戦では1得点、1アシストを記録している。

「人生で2度もオリンピックにかかわることができて本当に幸せだ」

 村長の仕事はオリンピックの開村日7月13日〜閉村日8月11日の間で13日間の出勤だ。パラリンピックでも同じくらいの出勤をして、感染対策をしたうえで、選手と話したり、設備のチェックをしたりする。

 それだけ働いても報酬はゼロ。組織委員会の職員ではないから給料は出ない。千葉の自宅から往復する通勤用の車代も自弁で、それどころか、スタッフを集めた食事会の費用も川淵は自分で払った。現在、日本サッカー協会の相談役だけれど、経費を協会に付け回したりはしない。彼はあらゆる費用は自分で払う。

 村長の仕事でインタビューを受けると、口から出るのは「それはわたしが責任を持つ」だ。組織委員会の幹部も広報も言ったことに責任を持たないけれど、無給の川淵はなんでもかんでもすぐに「責任を持つ」と言ってしまう。

 感染症の蔓延はむろん彼の責任ではない。オリンピック・パラリンピックの運営についても、彼には直接的な責任はない。それでも、「それについてはわたしが……」と手を挙げて出ていってしまう。 

 自分のせいではないさまざまな惨事に対して、進んでその責任を引き受けようという気概を持っている人間は今や数少なくなった。そのうちのひとりが彼だ。 
 そして、気概を持ったのは、かつての東京オリンピックに出場したからだ。
 オリンピック・パラリンピックは国民が全体で支えるものではない。手を挙げた人たちが黙々と全力で支えればいい。

 へブライ人の格言がある。
「人間は計画を立て、神はそれを笑う」

 オリンピック・パラリンピックがどう評価されるかは終わってみなければわからない。だが、子どもたちの心には何かが刻まれる。

『新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語』目次
はじめに
プロローグ
第一章 スポーツマーケティング
第二章 夢を見てみようじゃないか
第三章 ポディウムジャケット
第四章 恩返しの話
第五章 顔認証による入退場管理
第六章 競技会場のカラオケタイム
第七章 CASEとMaaS
第八章 光の技術とKirari!
第九章 芝生と未来ゾーン
エピローグ


野地秩嘉(のじ・つねよし)

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』など多数。『トヨタ物語』『トヨタ現場の「オヤジ」たち』がベストセラーに。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。近著は『あなたの心に火をつける超一流たちの「決断の瞬間」ストーリー』(ワニブックスPLUS新書)、『京味物語』(光文社/7月末刊行予定)。


関連書籍
新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語
新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語

発売日:2021年7月20日(火)
定価:1,980円(本体1,800円+税)
判型:四六判
ページ数:304P

書籍詳細