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連載 私のオリンピック・パラリンピックの思い出

野地秩嘉(ノンフィクション作家)

今大会の後も残るに違いないレガシーとそれを創るためにもがき続け、奮闘した人々の姿を取り上げた『新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語』(KADOKAWA)が好評発売中。本サイトの連載番外編として、著者・野地秩嘉さんの今大会への思いや新たに取材した内容を全3回に分けてご紹介します。第2回のテーマは「選手たちだけでなく、支える人たちの努力を忘れてはいけない」です。

番外編 新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語(第2回/全3回)

2021/08/13


レガシーは生まれている

 会期中、わたしは取材のため、セーリング競技が開かれている江の島の会場(神奈川県藤沢市)、バドミントン競技が行われている武蔵野の森総合スポーツプラザ(東京都調布市)へ行った。『新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語』で触れたいくつかのレガシーが本番ではいかに機能しているかを見に行ったのである。

 著書で触れたのは8つだ。スポーツマーケティング、大会の公式服装とポディウムジャケット(表彰台に上る時の服)、空と陸からの統合監視セキュリティシステム、顔認証によるゲート管理、自動運転とMaaS、光による通信技術を使った超高臨場感体験、競技場で流れる観客が参加する音楽、未来ゾーンという子どもたちへ向けてのプロジェクト。

 8つのうち、観客参加の音楽、子どもたちだけの観戦ゾーンに関してはコロナ禍による無観客となったため、実現しなかった。ただ、子どもたちのゾーンに関してはオリンピックが終わった後、子どもだけを集めてセーリング競技を観戦してもらうライブイベントが計画されている。

 残りの6つは観客がいなくとも本番で活用されていた。いずれも選手、コーチ、競技団体関係者に関係のあるものだからだ。

きちんと機能したセキュリティ技術

 警備に関して言えば、きちんと機能していた。機能していたというのは災害やテロがないまま、競技が行われたからだ。何より、会場に入るまでの警戒は非常に厳重なものだった。

 会場へは顔認証だけでなく、持ち物検査がある。顔認証は組織委の係員がやり、持ち物検査は江の島会場では自衛隊が担当していた。入場者はアクレディテーションカードという顔写真入りのIDを機器にかざす。わずか10秒くらいで終わる。非常に効率的だった。ただ、会場ごとにアクレディテーションカードの他にアクセスカードが必要だった。そして、競技関係者(オリンピックファミリー)が待機する場所(ラウンジ)に入るにはさらにアクセスカードがいる。わたしの場合はIDカードを3枚も機器に通す必要があった。それでも1分もあれば中に入ることはできた。

 さらに厳しかったのは持ち物検査だ。長くて硬いものはダメ。その他、武器の代わりになりそうなものは全部ダメ。ペットボトルの飲料もかちかちに凍らせたものは持って入ることはできない。凍って固くなったペットボトルを振りかざせばこん棒のようになるからだろう。

 顔認証だけなら入場時間は短いが、持ち物検査を含めると空港の検査と同じくらいになる。顔認証とはあくまでも本人確認だけを行うもので、入場時間を短くすることが目的ではない。だが、先日、日経新聞に発表されていたが、顔認証は、りそなホールディングスで採用された。店頭で送金時の確認に使われるという。顔認証は社会の役に立つことがオリンピックで実証された。

 また、雑踏警備では空と陸からの警備が当たり前のように活用されていた。空からの警備は電池切れがあるドローンではなく、気球だ。セコムが長年、開発してきた空と陸からの統合監視システムもまたレガシーとなっていた。

 なお、選手村のなかで活用された自動運転のEV、「e-Palette」は体験していない。ただ、江の島会場でトヨタが提供したラストワンマイル向けのEVモビリティ「APM」には何度か乗った。ゴルフ場のカートを大きくして静かにした快適な乗り物で、スムーズに発進、停止する。市販されれば購入する会社、団体は出てくるだろう。

まるでその場にいるような感じ

 江の島会場ではセーリングとウインドサーフィン(セーリングのRSX級)の競技をNTTが開発した超高臨場感体験Kirari!で見ることができた。むろん、ライブでも競技を見ている。セーリング競技の見どころは次のようなものだ。

「海上に設置されたブイを決められた順に回り、ゴールの順位を争うセーリング。大小さまざまなヨットにウインドサーフィンを加え、男女合計10種目が行われる。大自然を相手にするため、重要になるのは風と潮の流れを見極める能力。刻々と変化する風をつかむため、ヨットはコースに沿って前に進むだけでなく、ジグザグ走行することもある。また、複数の選手が一斉にスタートするので、他とのポジション争いも激烈だ」

「ウインドサーフィンは全長2メートル86センチのボードに帆をつけた、男子RSX級と女子RSX級の2種目。見どころは風が弱いときに行われる『パンピング』と呼ばれるテクニック。全身の力で帆を前後に動かして推進力を得るのだ。体力を激しく奪う技術だが、スタートと同時に各選手が一斉にパンピング合戦を繰り広げる光景は見る者に気迫が伝わる」

 競技は浜から遠い海上で行われる。通常はハーバーの沖合、300メートルから500メートル、水深が40メートル程度の海域で行われる。だが、江の島会場には漁業者が定置網を設けており、さらに遠くの沖合で、しかも水深が100メートル近い海域だった。そうなると、突堤に立って双眼鏡で眺めてもヨットはミニチュアの船くらいにしか見えない。つまり、この競技は船を出して至近で見る、もしくは船やドローンで撮影した映像で見る競技なのである。実際、わたしはゴムボートに乗せてもらって、競技を見た。広い海の上で、風を受けて走るヨット、ウインドサーフィンは直線的に走るのではなかった。風を受けてジグザグに走ったり、方向転換をしたりする。素人はいったい、どの艇が先頭に立っているのか、よくわからない。

 そこに登場したのがKirari!だ。「超高臨場感体験」の愛称である。江の島では船の上の4台の4Kカメラで撮影した映像を瞬時にひとつの画面にすりあわせ、切れ目のない画面にする。それをハーバーに設置した全長50メートルのワイドビジョンに映し出していた。海に出る手段を持っていない関係者、取材者は誰もがこの映像を凝視していた。横幅が広い画面だから、散らばったヨットの位置関係も手に取るようにわかり、どの艇がリードしているかも一目瞭然だった。これまでにも複数の映像をひとつの画面に構成することができなかったわけではない。しかし、リアルタイムでは不可能だった。一度、撮った映像を人間が時間をかけて編集していたのである。

 セーリング連盟の河野博文会長は「Kirari!のおかげでセーリング競技は誰もがわかる競技になった」と言った。「沖合で行うセーリング競技は孤独な戦いです。Kirari!は競技を知らない人たち、子どもたちでも海の体験を共有することができる。競技の結果がわかることもさることながら、海へ出てヨットに乗りたいという、ウインドサーフィンをやりたいという子どもたちが喜びますし、選手にとってもありがたい」


NTTの通信技術「Kirari!」で映し出されたバドミントンの試合。セーリングでもこの技術が活用された。


選手たちを支えるスタッフがいてこそ成り立つ

 江の島会場は連日、摂氏33度、34度で晴天続きだった。ヨットハーバーに日陰はない。まして、撮影するクルーは朝から晩まで船の上で、太陽光とその照り返しに苦労していた。入り口でチェックする組織委の係員、自衛隊の人たちも汗だくだった。

 各国の競技関係者だって特別待遇を受けていたわけではない。暑さと熱気は誰に対しても平等だ。外にいる間は豪華ヨットに乗ろうがゴムボートに乗ろうが、暑さは一緒なのである。オリンピックファミリーのラウンジものぞいてみたけれど、彼らに提供されていたのは、サラダ、パスタ、サバの切り身、サンドウィッチ、巻き寿司で、大学生協のカフェテリアと同じ程度だった。

 みんな、日本を楽しむためではなく、競技に参加するために来ていることを自覚していた。迎える側の日本セーリング連盟の河野会長だって、彼らを歓迎するために自らゴムボートを操って、海へ案内していた。ホテルに泊まるのではなく、友人の会社の寮に泊まって、洗濯も自分でやっていたという。学習院から東大、通産省、資源エネルギー庁長官というエリートで、セーリング連盟の会長だけれど、実際はつつましいものだ。

 河野は「スタッフたち、ボランティアのみなさんがほんとによく頑張っている」と話した。「みんな、大変なんだ。沖合でブイを設置するには水深百メートルで作業しなければならない。オリンピックだから、誰もが普通の大会以上の努力をしている。僕らは選手たちだけでなく、支える人たちの努力を忘れてはいけない」

 オリンピックは選手たちの祭典だ。しかし、選手たちを支えるスタッフがいなければ成り立たない。レガシーとなるような技術は支えるスタッフたちが作り出していた。

『新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語』目次
はじめに
プロローグ
第一章 スポーツマーケティング
第二章 夢を見てみようじゃないか
第三章 ポディウムジャケット
第四章 恩返しの話
第五章 顔認証による入退場管理
第六章 競技会場のカラオケタイム
第七章 CASEとMaaS
第八章 光の技術とKirari!
第九章 芝生と未来ゾーン
エピローグ


野地秩嘉(のじ・つねよし)

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』など多数。『トヨタ物語』『トヨタ現場の「オヤジ」たち』がベストセラーに。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。近著は『あなたの心に火をつける超一流たちの「決断の瞬間」ストーリー』(ワニブックスPLUS新書)、『京味物語』(光文社/7月末刊行予定)。


関連書籍
新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語
新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語

発売日:2021年7月20日(火)
定価:1,980円(本体1,800円+税)
判型:四六判
ページ数:304P

書籍詳細